昭和51年11月01日 月次祭
合楽示現活動に参画する。
昨日ここへ、山口の【 】さんから手紙がまいりました。月に一回の十日のお月次祭にお参りをするという、神様へのお約束をしておられる訳ですけれども、やはり近所隣に難儀な人がありますと、お導きして見える。丁度先日は四、五人の方をお導きして見えられて、福岡の浅野さんのお導きで参って見える。浅野さんも難儀な問題を通して、お母さんが初めてここへお参りになりました。そしてお参りするたんびんに、お道の信心の有り難さが分かり、合楽の信心の有り難さが段々分かってくる。
そして参って来るたんびんに感ずる事ですけれども、先日久留米からバスでここへ降りて、そして目の前に「金光教合楽教会」の看板が出ております、なら裏側に「合楽示現活動に参画する」という、大きいそのスローガンの様なものです。信心の目当ての様なものです。それがいつもよりも三倍にも四倍にも、大きく見えて感動したという手紙が来ております。何という素晴らしい言葉でしょう。合楽教会大発展の御神願が御成就すると言う事は。そのまま合楽教会が大きくさえなればよいというのではなくて。
そこに沢山な難儀な氏子が助かると言う事、「合楽示現」と言う事は、いよいよ神様と氏子が共に助かり合うて行く、神人共に栄えていく、神人共栄の道が開かれて行く、そう言う事なのです。それがお参りをして来るたんびんに、何と素晴らしい事であろう、実際肉眼で見る「合楽示現活動参画」のあの立看板が、三倍にも四倍にも大きく見えて感動するという、その事に神様がいかに感動的な喜びを、そのようにして現わしておられるかと言う事が分かります。
帰りがけにはもう皆さん殆ど車の方ですから、すうっと行くから分からんけれども、歩いていくあちら歩いていく時それが目に見える。「合楽示現活動参画」という大きな看板スローガンが。そしてその内容を聞けば聞くほどに素晴らしい事に感動する。光輪の世界光の輪を広げて行こう。この地球上に和賀心時代を創って行こう、創造すると言う事ですね。そういう私は信心の転記というか、一つの焦点と言う様なものがハッキリして参ります所から、お道の信心のいよいよ尊い有り難いと言う事が言えると思います。
まだまだ過程があります。過程がありますけれども、私共の願いが段々本当な事から本当な事へと分かって行き、勿論本当な事から本当な事へのおかげの展開、おかげが頂けるようにならなければならんと言うわけであります。信心が続くんですが、けれどもおかげがついてこないのはちょっとおかしい。信心が進めば進む程おかげを頂かなければ。昨日、一昨日の研修の時でした。どう言う事からか、話が私が福岡での修行中の時分、長浜町時代今はそこに文化センターと、か図書館と言う様な。
大きな建物が沢山建っておりますが、あの時分は以前は埋め立て地であり、そしてあの当時には朝鮮人の方達の密造部落がありました焼酎の。それこそ掘っ立て小屋でした。そこに私共がおかげを頂いておる時分に、私が神様からあのういわゆる神様との約束の中に、「履物を買いません」という、私共夫婦の修行がございました。箇条書きに沢山その時分には、いろんな表行をさせて頂く事が、まぁ有り難い事だと思うておりました。もちろんまた買うにも買えない訳です。
食べようにも食べられない訳です。もう一日一椀のおかゆさえ許されれば、それでいいと思うておりました。昨日もあのう椛目の二人目の孫が、ちょうど初参りでございました。それで一家中でお参りして、赤飯やらいろいろな品を持って来ておりましたから、若先生の部屋でそれを開いて、私は一日かけてそれを頂いており、家族の者はあのうそのう一家の前で頂いて、それで家内と椛目の妹が話しておるとです。家内がもう今の若い子はご飯を食べないと言う。
良子さんでも恵美子さんでも、ご飯を食べにゃお乳が出らんばい、食べにゃあけどもお母さんひもじないと言うわけです。ほんと姉さんのう、泰子と愛子が双子のようにしておりましたが、あの時分は遅配欠配、その上もう修行もうギリギリの修行をさせて頂いております時ですから、もうそれこそお汁の中には、もう菜っ葉の方が多いと言う様な、それを一椀ずつ割り当てて、そして母が寝る前に、もう一杯頂かなければならんというて取ってくれとるのが、もうおつゆばっかり実はどこかに行っておる。
それを五十枝さん、スマヨ、あんたも頂かなきゃお乳が出らんばい。これいただかにゃんとと言うて、そのつゆのようなそのおかゆさんが、もう美味しくて美味しくて堪えん、勿論そんな訳ですから、子供二人は何と言うてもいわゆる栄養失調寸前のような姿です。私はあんまりあのういじらしいと思いましてね、神様にその事をお願いしました。そしたら神様からこんなお知らせを頂いた。御神眼に聖護院大根というのがありましょうが、おこの丸ぁるい白い大根ですね。あの聖護院大根を頂いた。
もうそれこそ色が白くて、ぼんたさんのごたる。丸々肥えふくれてござる。けれどもこれを二つに割ってみたら、中は巣がほげとったと言うなら、いくら肥えとっても、美しゅう太っとっても、これは困った事ではないかと。たとえ痩せておってもです。中身がしゃんとしておるから心配いらんと、神様からお知らせ頂いた。ですからまぁあの時分牛乳一本買う訳ではありませんし、そういう中におかげを頂いて参りましたがです、そういう中から、段々段々、例えば現代なら嫁たちが、ひもじゅうないと言う程しにです、飽食しておるほどしに段々おかげを頂いてきた。と言う様な事を、昨日一昨日からその事を話させて頂いて、スキッとその事が有り難うなってくるんです。
と言うのは私が神様からお知らせを頂いて、履物を買いません。だから履物がなかっても裸足でも行けると言う訳で、どうしてあぁ言う事を神様に約束したのかは分かりませんけれども、確かにある。そこで神様が履物を拾うて歩けと言う事で、福岡の町を歩きますとね、やっぱり下駄が落ちとる訳です。もうあのう片一方ずつとかね片方が割れとるのがある。だからそれを沢山拾いためて、私が縄でこうくくって持って帰えりますと、家内がそれを綺麗に洗いましてね、そして干し上げて石炭箱のなかに詰める。
そうするとたいがい合うたのがありますから、それにあのうめり緒の下駄緒を立てたり、又はぬりといった緒を立てて、子供達もそれから私共も皆んなそう言う様な状態の時分の事がです、そういう話がね段々そういう、例えばなら履物を履かせて頂いたが、一番最後に福岡で五十日間の日を切って、そこ日のおかげを頂いた人が、もう風呂敷包み一杯の履物を持って来た。元は履物屋さんだったけど店じまいをして、終戦後の事ですから皮のようだけれども、レザーのようなそりゃ粗雑な下駄ですけれども。
沢山な下駄をまぁいわゆる、店ざらしの様なもんだけれども新しいのは新しい。その履物のお供えを頂いてこの方というものは、履物に私共が不自由事がないと言う事。しかももうこれが最高の履物だろうと言う様な、履物が段々段々、例えば着物で言うなら、木綿もんからめいせんもの、絹物紬物と言う様にです、段々おかげを頂いていかなければ、嘘だという話からです、私その時分の話をさせて頂いておりましたら、ほんに私が履物を下げて帰って、家内が一辺でも寂しいとか、悲しい顔をした事がなかったが。
あの時分家内はどういう心境であったかと思うてね、聞いてみようと思いました。30年間それでした。それから昨夜は、月末御礼信話会でした。今日はお前に聞きたい事があるからこっちへ来いと言って、いつもはこううつむいて座っております。昨日は大変多うございましたが、お広前一杯に輪を描いて、私がなかなか話しを致しませんからね、問わなければ返事をしません。ですから「あの時分の事はお前は、どういう気持ちであったか」と言う事を尋ねましたら。
一言言うては胸がつまり一言言うては胸がつまりして、ただもうあなたに連れていく以外ないとこう思うておったと言う事を、相当の時間をかけて、中にあったいろいろな思い出話なんかも挟んで、お話しをさせて頂きましたが、今朝から今日研修をさせて頂きます時に最後に、久富先生が発表致しました。そして昨夜の事を発表しておりましたが、親奥様が言ったと思ったら感動してものが出らん。
だからそれでよかたいと言うて、ここ一両日和賀心とはとこう頂く事は、どう言う事かと言うと、例えば難儀の中にも喜びを感じさせてもらう、と言うて無理に感じるというのではなくてです、それをもう何でもない事として、受け止めて行く心が和賀心。そういう心が蓄積されて、いよいよいわゆるお徳が受けられおかげが受けられる、本当の和賀心になるんだと言う訳であります。
今朝から皆さんお届けされて、昨夜の信話会に出て見えられた方たちは、もう昨夜は、ただでは話にならないのです、例えば実際けれども本当に親奥様の、あのう一言をと言うて、皆んながまたここで声を詰まらせてお届けをされました。私も今日は本当にあのう、その時分の事をいろいろと思い出させて頂いてから、本当にあの時分に私に付いた来たと言う事だけでも、素晴らしいなぁというと言うのは、私の限りないもう本当に普通で言うなら、気違いのような何の当てもない町を。
言うなら捨て下駄のようなものを、こうくくったり下げたりして帰って来るのだから、「もうあなたばっかりは、そげな格好をして」と言うのではなくてです、それを綺麗に洗うて干しあげて、そしてそれをあのう履かせて頂くという事に、これは一事が万事そうだったんです。下駄だけの事じゃないです。そういう中にあって、私がひた向きな神様へ向けていく、言うならば足を引っ張る様な事はしなかったと言う事なんです。ここまで考えて参りますと、誰でも真似ができないと言う事なんです。
その事が和賀心だというのです。もう狂わない絶対、「もうあなたのごとんとはもう愛想が尽きた」ともう言うてもよい様なものだ。そういう私はおかげを頂いて、今日四時の御祈念を終わっておりましたら、ちょうど千恵子さんがお参りしてきまして、ここ二、三日しばらくお暇を頂きたい、もう私信心のスランプ状態とでも申しましょうか。今自宅に帰っておる。それで出てまいりましてから、「今朝方お夢に親奥様が」とこう申しますから、「今朝お夢を頂いた親奥様でよかばい」と私が申しました。
あの人は全然知りませんのですよ。二、三日おりませんから。もう「親奥様が今朝、大変厳しいお声で、千恵子さんと起こされたお夢を頂いた」と言うのです。「それでもうあのうそれだけで、千恵子さんおかげを頂いたよ」と申しました事でしたけれども、本当にどういう場合であっても、苦しいけれども有り難いと言うんです。苦しいを感じない訳ですね。もうそれこそ黙って足を引っ張る所か、それから黙々と着いて来たと言う事なんです。その事が改めて家内の信心の素晴らしさに、もう思いますと涙が流れる。
昨日その家内の話を初めて聞いて、もう大変皆さんが感動して、おかげを頂いておるのが、今日にまだ繋がっておると言う事でございます。今日午後の奉仕をさせて頂いております時に、大分の森の坂本さんから電話で、今晩はお参りになっておられると思うんです。今晩の月次祭には、各地域の人たちをお導きして、お参りをして来るとこう言うです。「ところが先生今日はどうでも、お礼参拝させて頂かなければならん事が、一日中続きました」と。
と言うのは親戚の方に大変金光様嫌いが、そして金光様に一生懸命お参りしておかげを頂いたと言う事を、まぁいうならですひすくるたい。そしたら今までお参りしておった、大きな材木屋さん製材をなさっておられるそうですから、大きな機械が載せて来てあるのがね、機械と一緒に落ちたそうです。その方が大した怪我ではございませんでしたけれども、あのう怪我をすると言った様な事が起こりました。
今日、月次祭にお参りさせて頂こうと、バタバタしておりましたら、主人が「今日のごと忙しかとに、今日は月次祭やめとけ。」と言う。この頃も大祭にお参りさせて頂いて、「大変忙しいからお前が参れ。」と言うて奥さんが自動車で参ってきよったら、途中で運転免許証を忘れた事を思い出した。それでまた取りに帰ったら「はぁおかげを頂いた。お前が帰って来てよかった。もう忙しゅうてこたえんけん御大祭の参拝は止めろ。」と言うから、本にその通りじゃろうと思うてから。
とうとう大祭を止めて、その日はおかげを頂いたと言う訳なんです。今日もやっぱりそういう、今日はもう皆んなで参らんなん参らんならんと言う事で、あんまり忙しいものですから、「今日はんなら止めなんだろうか」と言うた途端に、表に積んであった大きなトラックから、あのう材木がずっとあのう崩れて落ちてきた。玄関を壊したというくらいですから、それはあなた人間が下敷きにでもなったらね。もちろんこれは神様の、今朝から頂きます様に、神様の間違いのない。
良しにつけ悪しにつけ、本当に神様は有り難い神様だと言う事と同時に、やはりこの神様はまた恐い方だとも分らなければ、信心が分かったとは言えないと言う事です。だからこの前の大祭の時まではです、その無邪気な考え方ですねえ。お参りしよった運転免許ば忘れとった。取りに帰ったらうちが忙しかった。あぁおかげ頂いた参らんでよかった。今日はこげん忙しかとまぁそういう邪気のない方なんです坂井さんという方は。おかげは一杯頂いておられます。
そりゃもう本当にこの人のおかげ話を言うても、一冊の本になるくらいにおかげを頂かれる。ですからそういう邪気のない、無邪気さがおかげをキャッチしたのでしょうね。けれどももう神様はね、そういう無邪気な信心では許されない事が、今日は一日それを感じておられる。西岡先生がこの電話を聞いてから、もうほんにほんなこつじゃあるのとあのう言いたい様なお電話でしたと言うのです。信心頂かなければならない。
今日は佐賀から、人を連れて参ってきております。初めは一人二人、それが今日は八人お導きして見えた。そしてまぁおかげを頂く事から例えば信心の事が分り、今日はその周囲には非常に迷信的な信心が多いらしい。そう言う様な事をもう今日の御理解を聞いて分らせて頂いたと、言った様なおかげを頂いて帰りましたが、和賀心時代を創るとかね、合楽示現活動に参画するとかと言う事がどう言う様な事か、先ずは自分自身が光を頂かなければ、げようがない。
今日も福岡の川上さんのお導きで参って見えます、伊藤さんという方がおられます。椛目の時代からお参りしておるけれども、とても川上さん達の様な事は出来ん。もう自分は信心ちゃとてもお願いする事だけだと思うておった。そこでこの頃から婦人大会、又は御大祭を頂いてから、もうそれこそ心境が一変して、今日は涙を流して残念で歯がゆうてというのが、自分の周辺に沢山の難儀な人、おかげを頂かなければ出来ない人達がおられるから、お話しをするけれども。
さぁそげん所なら一辺参ってみろばってん、ほんなら今日参ろうとは言わん。旅費がなければ私が出す、お初穂私が出すけんお参りしようと言うても参らん。それが今日は残念でたまらんというてね。自分の心の中、に光を頂きだしたら、自分の周囲に難儀な人が沢山見え出してきた。昨夜から宮崎の支部の方たちが、十一名で参って来ております。今日のお祭りを頂いて、本当に今日も新たな方達が、導かれてお参りして来ておりますが、そういう私は働き。
そうしなければおられないというのが、合楽示現活動に参画すると言う事であり、光輪の輪を広げてゆく事も、自分の心の中に頂く有り難さというものをです、人に伝えずにはおけん。それがもう歯がゆいくらいになって来る。「天地日月の心」とか、または「おかげは和賀心にあり」とか、その和賀心にあるというその和賀心を目指すというか、それを自分の身に付けていくという信心を目指す。それにはいわゆる「天地日月の心になる事肝要だ」と言われる、その肝要なところを頂いていく。
最近それを寛大の寛の字で受けて行くと言う事であります。だから理屈を言わずにもう、訳は分らんなりにも、家内の場合は、言うなら私は気が付かなかったけれども、理屈は分らんなりに天地日月の心で来た事になり、寛大の寛の字でただ黙々と信心を進めて来たと言う事になるのです。そして例えて申しますと、食べるに食を欠く着るに衣がないような事から、今日段々段々おかげを頂いて、今日のおかげを頂いておる。そういう私はおかげを受けなければ、人に伝えていくと言う様な。
いうなら伝えんでも伝わって行くと言う様な、信心が生まれて来ないと思うです。ここで一つ今日は昨日家内のお話の中から、もう沢山ヒントを頂いてほんにあんな事もあったね。こんな事もあったねと言うて、本当に合楽の信心の元にもなるようなものですから、こんな話ならで聞いて頂きたいと思いましたけれども、本当に和賀心時代を創るとか、光輪の世界を広げてゆくとか、合楽示現活動に参画するとかと言う事を、言うておりますがその内容になるものを、今日はまぁ聞いて頂いた積りでございますがね。どうぞ伊藤さんじゃないけれども、もう本当に信心が分り出したら、周囲に余りにも難儀な人が多いのに驚く。と言うてんならその餌を与えても、なかなか食いついて来ようとしない事がです、もう残念でたまらんと言うて今日は言う訳です。
本当にあんたが長い間川上さんに言われても、あんた方のような事は出来んと、初めから言うておったそれと同じだから、気長に行きなさいと申しました事ですけれども、私は本当にこれが伝えずにおられないと言う様に、今朝から一団の方がお参りしてきて、宮崎から参ってきておる、またそのう今日の坂本さん当りは、家族を上げて是非お参りさせて頂きたいからと言うて、お参りになっておられる筈ですけれども。
その過程においては、大祭にお参りをせんで、こんなふうなおかげを頂いたと言う様な、無邪気な信心から、本当の事を分らせようと、厳しく神様が現れておられるというところにです、私はあのう嘆願させて貰わなければいけない。そしてその神様の心に沿い奉る生き方が、いよいよ本当なものになって、いよいよ本当の意味においての和賀心、どういう中にあっても不平不足を言わんで済む、黙って着いて行くというその心が、寛大の寛であると言う事でございます。
どうぞ一ついよいよ十一月の月を迎えさせて頂きましたが、先月十月のおかげ月と言われる、大変様々な御用が一杯、昨日も研修会の時に、椛目の宮崎さんが発表しておりましたが、長年信心したけれども六日間もぶっ通しに御用させて頂いた事は今度が初めてでした。「それがもう有り難うして有り難うして堪えませんでした」とこう言う。「宮崎さんそれが和賀心ばい」と私が言うた。
六日間も大変忙しいお仕事を持っておられながら、もちろん中には御本部参拝もあるし、御本部参拝からここの大祭から、その前後の御用を六日間もさせて頂いて、「ありがとうしてありがとうして堪えませんでした」とこう言う。それが和賀心。してみるとお互いの心の中にある、和賀心というものがどんなものかと言う事を検討する。それが溜まりに溜まって初めて、いわゆる本当の和賀心になって来るのですね。
どうぞ。